33rd Rescue SQ
Page-1
HOME
クルーのネームタグには、巨人ジョリーグリーンジャイアンツの足跡が。
2012年4月4日17:48 沖縄 嘉手納基地を離陸する2機のHH-60G、尾翼のレターが読める角度ではなかなか撮影できないのであるが この日に限って2機とも 道の駅の真横をバンクしながら離陸して行ったため はっきり尾翼が読み取れる。
2011年10月30日 33th RSが たまたまオーサンABに展開していた事により オーサンで彼らをしっかりものにすることができた。コンバットレスキューを再現したショーである。
click here
(2011)
↑ 上写真は1995年三沢で飛行展示したHH-60G(89-26207)
(2011)
Wings
NEXT
(2011)
1952年嘉手納で創設以来 ずっと琉球列島を本拠地にしている部隊で 嘉手納→那覇→嘉手納と島内を移動したぐらいである。もちろん ベトナム戦争など戦時任務で各地派遣は当然あるが、昔から嘉手納に長く駐留しているにもかかわらず 航空ファンにとって柵の外ではなかなかシャッターチャンスに恵まれないヘリ部隊であった。 HH-3ジョリーグリーンジャイアンツ、HH-53 スーパージョリージャイアンツなど 緑色巨人と名の付く救難ヘリを使用していたが 1993年~1994年にかけてCH-3からペイブ・ホークHH-60Gに機種交換して現在にいたる。本来のインシグニアは、右のものだが ジョリーグリーンのパッチがすっかり定着している。
↑ このHH-60G/91-26401は、2007年11月29日 アフガニスタンに於いて医療任務の際、現地時間夜の8時40分頃 アフガニスタンのカンダハール空軍基地の北東451アイルあたりにハードランディングして、機体が大きく損傷したと言われている。事故の原因はパイロットの操縦ミスとされるが、幸いなことに乗員6名などは無事であったと言う。
(91-26403)
コンバット・レスキューは、敵地に不時着したパイロットを救出するため 戦闘行動を伴った救出任務の事で それゆえ救難ヘリはミニガンなどで重武装している。嘉手納で2009年3月撮影したHH-60であるが このように尾翼の機番が見えるような角度で撮影できるチャンスは本当に少ない。因みに本機HH-60G/91-26354は、2013年8月5日沖縄の中央訓練場(CTA)にて、僚機との接触を避ける為、緊急降下をして地上との接触、乗員4名が重軽傷を負ったとされる。
(91-26354)
↑ 上の2枚の写真は、1997年11月に嘉手納空軍基地内で撮影された33rd ARSのHH-60G
(91-26401)
(89-26207)
(89-26207)
(91-26402)
(89-26207)
(91-26401)
ジョリーグリーンは、元はと言えば”缶詰屋のマスコット” ポパイのように「野菜を一杯食べて 大きく育てよ!」のようなイメージキャラクターである。社名ジョリーグリーン社(現 ゼネラル・ミルズ社)は、冷凍コーンやグリーンピースが得意の食品会社で このキャラクターは売れに売れた。映画まで作られたはずである。それが 何故 救難ヘリのニックネームとなったのだろう・・・↑2011年10月オーサンに展示されたHH-60G(89-26207)
↑1994年三沢に配備されていた第39救難飛行隊が本国に戻り、機体は嘉手納にいた第33救難飛行隊に移管された。移管後 尾翼には「ZZ」のテールレターが書き込まれた。この機体の配備でHH-53C等の大型機は引退となった。上写真は1995年三沢に展示されたHH-60G(89-26209)